主体性を発揮する
あけましておめでとうございます。
早くも21世紀も第2四半期のスタートですね。
そんな年明け、都内のとある観光地のゴミ拾いの清掃活動
から始まりました。
せっかくやるので半日とか1日ではなく、年末年始の1週間。
とてもいい経験をすることができました。
その清掃活動で得た気づきの一つが「主体性を発揮する」
ということ。
清掃活動に参加した目的の一つが、決められたルールに従って
行動してみるということ。
会社や組織は、さまざまな業務が役割分担され、それぞれに
ルールがあり、そのルールに従って動いているから機能して
いますよね。各自がルールを逸脱して動いてしまったら、
組織はバラバラになってしまいます。
一方、もっと主体性を発揮して欲しいとの声もよく聞きます。
果たして、このルールを守るということと主体性を発揮すること
は両立できるのか。それを体感することができました。
結論、ルールを守ることと主体性を発揮することは両立できる。
そしてそのためには仕組みを作ることが必要。
日々の活動(仕事)した時の気づきや工夫を吸い上げる仕組み。
真面目でルール通りに活動することが求められていると、気づきが
あっても自分から積極的に発信するのはハードルが高いのです。
ここで気をつけないといけないのは、気づきや工夫の提案件数の
数値目標を作らないこと。数値目標を設定した途端に、
ゴールが件数になってしまい、主体性とはかけ離れたものに
なってしまうのです。
日本企業の強さは現場力。現場の一人ひとりの意識、真面目さ
勤勉さは素晴らしい。しかし、その現場の強さを活かしきれて
いないのも事実。現場にはたくさんのヒントが隠れています。
その強さを活かしながら主体性を発揮するための仕組みを
作ることができればすごいことができそう。そんな気づきが
あった1週間でした。
そうそう、主体性の発揮のために必要なことがもう一つ。
現場での気づきの中には今の制度やルールを否定するような
ものも含まれるから、受け止める側に寛容な心が求められる
のです。実はこれが一番の肝かもしれません。
【今週の1冊】
「フラニーとゾーイー」
1961年 J・Dサリンジャー 著
「ライ麦畑でつかまえて」と並ぶサリンジャーの代表作ですが、
読んでいませんでした。まだまだ読んでいない素晴らしい本が
たくさんあることはとても幸せ。
読みたい本、読まなければいけない本がある限り生きていなきゃ
と本気で思えてしまいます。
で、この本。 60年以上前の20歳くらいの若者の3日間の話ですが、
全く古さを感じさせないのはなぜなんでしょう。
時代も国も違うのに、若者が人生に悩み、苦悩し、もがく姿は
今も全く変わらない。 多分100年前も1000年前も500年後も
同じなのでしょう。そして、その年齢を経験した人は須く共感
できる。
私もその年の頃は悩んでいたなあ。自分とは何者なのか、
何ができるのか、どこに向かっていったらいいのか、、、。
そんな気持ちを思い出せせてくれてありがとう。
光をあてる
先週に引き続き、年末年始のアルバイトの気付きから。
観光地での1週間の清掃活動はとても学びが多いものでした。
年末年始の都内の有名な観光地。日本人はもちろんインバウンドで
世界各国からの旅行客で大混雑。さらにその観光地は、 食べ歩き出来る
飲食店が目白押し。ということでゴミが散乱して大変か! と思いきや
お店も人通りも多いメインストリートはとてもキレイ。 そんなにゴミが
落ちていない。街の中のゴミ箱はとても少なくなっているので、
多くの観光客は手に持っていたり、ポケットに入れたり、 自分のバッグに
入れたりして持ち歩いているのです。
そんな中をゴミ箱を転がしながら歩いていると、「 ここに捨てていいですか?」
を声をかけて捨ててくれるのです。そして捨てた後に、「 ありがとう」と
言ってくれるのです。
そんなとってもいい気持ちで、 メインストリートを抜けて路地に入り、
そこの自販機の影をのぞいたり、駐車場の奥に行くと、
なんということでしょう!飲みかけのペットボトル、空き缶、 食べ残し、
吸い殻が山になっているではありませんか。
多くの人は、人目があるところ、 明るいところではゴミは捨てないのです。
そして、 一目につかないところ暗いところには平気にゴミを捨てる。
さらに一つゴミがあるとそこが簡易的なゴミ捨て場になり、
どんどんゴミが溜まっていく。ゴミがゴミを呼ぶのです。なので、
そのような場所を見つけたら徹底的に綺麗にする。 一つ残らず綺麗にする。
そうしないと瞬く間にゴミ箱と化していくのです。
ということで、最初は、人がゴミを捨てないようにするためには
暗闇を無くす。明るくすること、光をあてること、 人の目を行き届かせる
ことが必要かと考えたのですが、 やっていくうちにそれは違うかなと。
光が当たれば必ず影ができる。 光が強ければ強いほど影も暗くなる。
ではどうしたらいいのか。
さあ、そのアイディアは来週!
【今週の1冊】
「哲学と宗教 全史」
2019年 出口治明 著 ダイヤモンド社
小説ではない本の紹介は久しぶり。さて、 この本はどんなジャンルに
なるのでしょう。世界史の教科書的な位置付けでいいのかな。
哲学と宗教という堅苦しい内容がスルスルと入ってくる不思議な本 。
歴史は連続している、繋がっている、相互に絡み合っている、 影響を
受けているということがよくわかりますね。
今この瞬間、自分もその歴史の中の一人であると。
そして世界はここに登場するような人たちだけで作っているのでは なく、
自分もその一員であるんだと自覚させられます。
100年後200年後、 そして1000年後の世界はどうなっているんだろう。
ちょっと覗いてみたくなる。
たくさんの参考文献が紹介されているので、 またそれを読んでいく楽しみが
増えました。出口さんありがとう。
「光をあてる」その続き
表通りは綺麗だけど、路地や暗いところにはゴミが散乱する問題
の解決には光をあてるのではなく、、。の答えは、
「役割を与える」ことではないかと。
今回私が裏通りのゴミに気付いたのは、街の清掃という役割を
与えられたから。それまでもゴミはたくさん落ちていたはず
なのに、全く気付いていなかった。目に入っていませんでした。
それは明るさとは人目があるとかではなく。
そのような役割になったから気付いたし、 気付いたら綺麗にしたくなる。
そしてこのような発信をすることで、これを読んだ人の何割かは、
ゴミに気付くし、ゴミを捨てなくなるのではないかと。
これって会社の役割にも似たところがあって、
どんなことでも管理職がやってしまうと部下が気付く機会を奪って
しまっているのと同じなのです。
短期間のことを考えると自分でやった方が早いでしょう。
最初のうちは自分がやった方がいいパフォーマンスを発揮するでし ょう。
ただ、それを続けていってもゴミに気付くことはできないし、
ゴミを捨てる人も減らない。
ということで、 役割の固定が人の目を曇らせてしまうのでしょうね。
ただこれは専門の人、その業務に熟知した人は必要ない。
ということではないので、それは注意が必要。
さあ、新しい年が始まりました。
新年の目標で何かを始めるためにも、今の自分の仕事を手放し、
誰かに役割を任せることから始めてみては?
そして余った時間があるからクリエイティブになっていくのでは
ないでしょうか。
【今週の1冊】
「青い鳥」
1960年 メーテルリンク 著 堀口大学 訳
新潮文庫
小説とは違って、戯曲には戯曲の面白さがありますね。
まず舞台セットの描写があり、それを頭の中で想像する。
それから人物が登場してセリフを述べ始める。
音楽が奏でられ、登場人物が入れ替わり、舞台セットが変わる。
その繰り返しで頭の中も入れ替わり、自分だけの世界が作られる。
自分が演出家になった気分が味わえる。
想像力の源は自分の経験と知識が加わって新しいドラマが生まれる 。
シェイクスピアの戯曲も経験を重ねるとまた感じ方も変わるんだろ うな。
ベニスの商人、リア王、マクベスもまた読んでみよう
メリハリをつける
年末年始のアルバイトが間に挟まって、何かと忙しかった毎日が
今週やっと平静が戻ってきました。ということでメリハリ大事。
そんな週末に、上野不忍池の近くにある横山大観の旧宅との
その庭園横山大観記念館に行ってきました。
こういう時間はとても好き。
昨年は練馬にある牧野富太郎の旧居を訪ねましたが、
今でもそこに存在して研究に没頭している姿がわかり、
また、解説してくれる人が牧野富太郎氏のことを敬愛している
空気感を纏っていて心が暖かくなったものでした。
今回訪れた場所もそんな感じだったのですが、共通していることが
仕事を集中することと休息のメリハリがしっかりと付いている
ということ。休む時はしっかり休む。だから仕事に集中できるし、
継続できる。継続するから成果を出せる。そんな空間を自分で
しっかりと確保している。
そこには強い意志があるのだけれど、 思い詰めた悲壮感ある意志ではなく、
好きだからやってしまう。集中してしまう。 集中するからメリハリを
つける。そんな感じなのでしょう。
さ、今日の集中タイムは終わり。ちょっとリラックスしよう。
【今週の1冊】
「若きサムライのために」
1969年 三島由紀夫 著
三島由紀夫の小説はたくさん読んできました。 それはフィクションで
ありながら私小説のようでもあり、 三島由紀夫という人がありありと
浮かんでくるものばかり。
そんな三島とはどんな人だったのかがよくわかります。
この本が出版された1969年は安田講堂事件が起こった年。
まさに激動の世の中でありながら、書かれている内容は
45年後の今の状況とリンクすることがたくさん。
最近の若者は、という三島の言葉を見ると、孤高の人にように
思っていた三島も普通の人だったんだあということがわかったり、
このようなエッセイや対談は人となりが伝わりますね。
研修でもじっくりと対談して自分に向き合い、それをアウトプット
(言語化)して見直して内省する。 というコンテンツを強化しようかな。
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